そういうこと

なんとなく察する感じのブログなんですけど、嵐のコンサートに行ってきました。ので、ブログを書きました。感想じゃないし、すごく長いし、自分のために書いたものです。でもまあ読んでくれるひとがいるんなら〜的な感じです。ようするに、読まなくても良いけど似たようなひともいそうだなと思ったのはある。

元来、わたしはふたつのものを同時に好きになることができない不器用な人間です。

例えば、そのとき好きな漫画があればそれに熱中するし、それまで好きだった漫画は気が向いたときに読む程度に変わって、次に読んだときには「なつかしいな」という気持ちでそれを読むことになります。そもそも、熱しやすく冷めやすい。好きなものには一直線になってその熱を隠すことなく追いかけるけれど、同時に冷めるのも早い。三ヶ月保つとだいぶ保った気がします。それくらい。ワンクールのドラマかよ。そういやドラマにもずいぶんハマってた時代があったな〜、なつかしい。

ドラマや漫画や、小説に映画には終わりがあります。どこかで連載が終わって、放送が終わって、完結する。そういうものを好きになることが多い人生でした。

だからずっと一定で供給があって、終わることのないものに熱中することになるとはまったく思いませんでした。

そんなわたしが、嵐というアイドルグループにハマることになります。本格的にファンクラブに入ったのは大学一年生のとき。ジャニオタという二つ名を名乗る勇気が出たのはそのときです。人生なにがあるかよくわかんねえなと思った。なんならわたしはただのオタクなので、そもそもネットに蔓延るうるさいジャニオタが好きじゃなかったから。対面するジャニオタのことはなんにも思ってなかった。ジャニーズのことは「えらい綺麗な男の子がたくさんおるなあ」くらいにしか思ってなくて、ドラマで見るとへえ、この子ジャニーズなんだと思う程度でした。山田さんとか特にね。歌番組に限っては、なんでジャニーズばっか出すのとキレることはあった。いまはその理由がわかるけどさ。

それでも実は相葉雅紀というひとは、わたしにとって別枠にいた存在なのでそれまでもぼんやり活動を追っていたところは、あります。

高校生まではなにかを真面目に好きになるのが恥ずかしかった時期だと思っていて、中学生の頃は真面目になるのがダサいと思っていました。体操服なんてちゃんと着たことないし、授業中はずっと本を読んでたし、掃除だって真面目にした覚えがないし。不真面目なのがかっこいいと思ってた時代です。ちなみに不真面目と不誠実はずいぶん違うし、わたしは昔から誠実でいたい人間だったからそこは勘違いしないでくれたらめっちゃうれしい。

だけど高校に入るとそんな恥ずかしさはどんどん薄れていきますよね。好きなものは好きでいたらいいし、好きなように追いかけたらいいじゃんと卒業らへんでやっと思う。めっちゃ遅い。クラスメートにジャニーズ(相葉さん)が好きだって言えなかった自分グッバイ、これからは相葉さんに生きるから、と大学生一発目の自己紹介は嵐が好きだってたぶん言った。そのせいで同じ学科にリア充のヤンキーだって勘違いされました。すぐにただのオタクじゃねーかとバレるけど。

わたしは嵐がアイドルを続けてくれる限り、あのときの気持ちのまま好きでいるんだろうなって漠然と、ずっと、思っていました。例え、好きなアニメが放送されても、これだけ嵐ばかり見て好きが爆発しそうになるくらい好きなんだから嵐が一番なんだろうって思ってた。この四年間くらい、たくさんアニメも見たし、ドラマも見たし、漫画も小説も読んだ。好きだって思うものはあったけど、わたしの中で一番になった嵐には勝てなかった。

別に、それはそれでいいんですよ。違うジャンルにわたしの中の二番や三番がたくさんあるのはずいぶん楽しい。

だけど、わたしはHey!Say!JUMPというアイドルグループに出会う。

初めてコンサートに行って、そのあとたくさん調べて、いろいろ苦労してきてるんだなあと思ったり、お顔がどストライクすぎる岡本圭人くんがいたり、馴染みのある山田涼介さんがいたりするという理由だけで、アイドルという枠で、二番目に好きだと言っていた。二番目というか、気になるくらいには思っていました。昔の番組を見たり、CDが発売されるなら初回だけ買ったり、歌番組に出るなら録画したり、新しい番組が始まるときには毎週録画し、リアルタイムで見て沸いた。圭人さんが初回だったからなおさら沸いた。

だけど、一番はずっと嵐でした。今年の六月までは。うまいことできた世界だと思うけれど、六月のワクワク学校は「気になる」Hey!Say!JUMPが嵐先生の元で生徒になると聞いてうれしくてたまらなかった。好きなものと好きなものの共演だって思った。そんなうれしいことはないなと、ほんとうに思いました。

運が良くて、大阪のワクワク学校に二回も入学して二回も卒業できたわたしは、気づいたら二回目のメモはほぼほぼ圭人さん、もしくはHey!Say!JUMP中心になってた。びっくりするくらい圭人さんばっかり双眼鏡で追ってた気がします。なぜなら授業の内容が、好きではなかったから。素直に言うけど、去年の方がずっと楽しかった。ありがたいことに2012年から毎年行くことができているので、どの年か聞かれるとわからないけど、授業名を言われると「ああ、あれね」と言える。でも今年のは、今年のくせに、もう言えない。翔ちゃんが走ってたこととか、大野さんがファイアーって言ったり、相葉さんが年末でにのくんがお米でじゅんちゃんが盆踊りでってことは言える。でもどこがよかったとか、びっくりするくらい覚えてない。嵐があそこで言ってたのは生きてく上でめちゃめちゃ大事なことなんだろうなとは思います。大事で素敵で、人間がわかってなきゃいけないことなんだろうと思ったし、いまでも思ってる。いいこと言ってたなってことはそれくらい、わかるよ。だけど、最初から世界の常識で答えが決まっているようなことを教えるイベントだったっけ、と考えた。

わたしは、嵐がどう思って、どういうことを考えて出した答えなのか感じたかったんじゃないか。もし嵐がそう感じてなくても、いままでの授業はそういう風に思えるものだったんじゃないか。

なんて、いろんなことを考えさせられましたよ。それってようするに、事は、ずいぶん重大なんじゃないかとも気づいた。それからどんどん、わたしは嵐の売り方にハマらなくなっていきました。気づいたらレギュラーは見なくなっていたし、宮城だって応募しようとも思わなかった。そこにがっつり入り込んだのが、ご存知Hey!Say!JUMPでした。

すごいタイミングだなといまなら思います。たぶん、似たようなこと考えてたひとはいるんじゃないかなあ。どんどん嵐が日本に歩み寄っていくことに抵抗したいファンはいたんじゃないかな。

こんなとき、にのくんが言ってた「コンサートはただの人間が神格化される場所」というのをどうしても思い出してしまう。その通りでした。コンサートでなくても、嵐はもはや概念になりつつある気がしていて、それは世界が「嵐」という概念を作り出してしまうほど、大きくて誰もが知っている、そういうアイドルグループなんだってようやく、俯瞰して気づくことができた。

それでも、わたしは嵐のことが大好きだし、Hey!Say!JUMPのことだって大好きです。だけど、わたしは、わたしが同じ世界軸に存在するものに「大好き」なものをふたつ持つことができないことを知っている。諦めが悪いから、ずっとどっちも一番だって言うつもりでした。

あれだけいつでも集めていた相葉さんの画像を六月以降からほとんど保存しなくなったことに気づいても、ファンクラブのメール以外で嵐の情報を追うことがなくなったとわかっていても、同じだって言い続けた。もう頑なになってる時点でふたつを好きだって言うのを諦めればよかったのにといまなら言えるけど。

そういう、他人から見たらどうでもいいことをずっと悩んでいました。わかってるんだよ、「別にいいじゃん、どっちも好きで」って言われることは。わたしだってそう言うもん。友だちに似たようなこと言われたら「どっちも好きなんだったらどっちも好きって言えばいいんじゃないの?一番なんて決める必要ある?」って言うだろうな。そのままそっくり、わたしはわたしに言ってやりたい。だけど、なんだか嵐のことを話すたびに白々しく思えたから、嵐の話は自主的にしないようにした。みんなと同じテンションで好きだって言ってていいのかよくわからなくなっていたから。嵐を一番好きなひとと同じように嵐ファンとして存在してていいんだろうか、みたいな、ことを思っていた。それはHey!Say!JUMPでも同じで。

好きの大きさに、意味はないとか、そういうことはよく思うし他人にも言うくせにわたしは自分のそういうところがどうしても許せない性格らしかった。そういう変な方向に真面目になりすぎたなって思ってます。他人が見てない番組があっても「それ見てないから嵐ファンじゃねーよ」みたいなことはまったく思わないのに、わたしはわたし自身にそういうことを勝手に課せてたと思う。それを見てないからって、別に好きなことに変わりないってわかっているのに。どんどん見てない番組が増えるたびに釈然としなくなっていくんですよ。これでいいのかみたいなことを思っちゃうんですよ。バカだから。勝手に自分で決めたくせにな。

世界は思っているよりずっとやさしいから、受け入れてくれるのに。そういうことを知っているくせに白黒はっきりつけなきゃどうしてもやりきれなかったところがあった。

今回そんな宙ぶらりんな気持ちのまま、嵐のツアーに行ってきました。札幌初日。ただただ、圧巻でした。ツイッターにもちょっと書いたけど「すごい」と「楽しかった」が共存するものだとは思わなかった。むしろ「すごい」のほうが勝ってた。ここまでコンセプトをしっかりさせて、なにをしたいか明白にして、ちゃんとこなすひとはもしかしたらこの五人以外にこの先いないんじゃないかと、終わった直後はそういう絶望のような希望を感じるような造りだった。いまでもすごかったって言える。

ここからは勝手に、わたしの主観の話になるから、腹が立ったら静かにブロックしてほしいし、見なかったことにしてほしい。嵐が好きだから、思ったことを言うつもりだけど、そう見えない可能性のがきっと高いから。

この間、わたしはありがたいことにHey!Say!JUMPのコンサートに行けました。すっごく行きたかったから、すっごくうれしかった。嵐のコンサートだってすっごく行きたかったから、当たったときはうれしかった。同じくらいのテンションだった。だからこそ自分の中で勝手に比べることができたんだけど、Hey!Say!JUMPのコンサートのほうか、楽しかった。このグループの未来のことを考えるとすごく楽しかったし、考えさせられることはすごく明るい未来だった。純粋に楽しんだのは、そっちだった。嵐のコンサートが純粋に楽しめなかったとかいうわけじゃないです。でもどこかにこのグループはどこまで行くんだろうみたいなことを思っていたところはある。夢から覚めた気分だった。わたしは嵐の見る夢をずっと一緒に見ていられるんだろうなって思っていたのだけれど、嵐はぜんぜん違う夢を見ていた、というのがなんとなく近い表現かもしれないです。

だから、このコンサートは一生忘れないんじゃないかなと思ってます。忘れないだろうな。内容じゃなくて出来事として残り続けると思うくらい、大きいことだった。これからすっきりと「いまはHey!Say!JUMPが好きかな」って言える転機になったので。

ここまで読んでるひとなんかほとんどいないと思ってるんですけど、ようするにこれは流行りの担降りブログらしいです。担当Gを降りるブログです。でもほとんど自分のために言語化しただけだから、許してほしい。毎回ブログ書くたびに許しを請うてる気がする。そんな感じ。だけど嵐が嫌いになったわけじゃないからこれからもお茶の間では応援していきたいと思う、そう決断できたコンサートだった。

しかし北海道めっちゃ楽しかったです!!!食べ物おいしいし、観光地楽しいし、いのちゃんハンガーをお迎えしたし!お土産も史上最高に買った。浮かれてた。明日からバイトしまくるしかない。

北海道よいとこなので、みなさん一度いかがですかね、ピュアホワイト、奇跡の食いもんでしたよ。