社会とわたしとハムカツたまご

 

 

 社会人を始めて四か月が経った。スーツはまだ一度しか着たことがない。
 この間、ひとり暮らししている家にゴキブリが出た。大阪に引っ越してきて三週間も経ってないのに、ゴキブリが出た。世界の終わりだと思った。思わず泣いた。怖すぎた。
 ひとり暮らしはまだ早いんじゃないかと真面目に思った。
 それと同じくらい社会人になるにはずいぶん早かったんじゃないかといまでも思う。一年前となにも変わんないし、相変わらずバカだし、アホだし、イケメンの背中を追いかけているし。
 どこでもかしこでも叫ぶクセは変わってない。黙ると死ぬの? とまあ、言われる。死ぬと思う。
 欠かさずに裕翔のドラマを見ている。就活中はみんな同じスーツ、没個性。そんなこと一年前によく聞いたなあと思う。わたしは言ったことないけど。
 没個性のなにが悪いのか、よくわからないし、それはそれでいいんじゃないかと思う。ああいうのは社会になじむためのストレッチみたいなものだ。
 おんなじスーツを着て、値踏みされるように話を聞かれて、自分じゃないような話をする。面接ってそういうもんらしい。ごめん、そういうの苦手だから、わたしはどこでもわたしだった。面接でもよくしゃべったし、面接前もおなじグループの子と話した。一番覚えているのは「のだめに似てるって言われない?」って言われたことだ。「眼科行った方がいいよ」と返した。初対面だ。
 昔から、わりとバイト先でも責任者、みたいなことをしていたおかげか、サービス業をしているいまもバイトという感覚が抜けない。つい先日も「明後日もバイトかー」と言った。アルバイトの子に「バイトじゃないっすよ、社員っすよ」と言われた。四月からずっと仕事をバイト呼ばわりしている。とんでもない社員だ。社会人としての自覚がなさすぎる。
 たった四か月とは言え、されど四か月である。そのあいだ仕事と呼ぶよりバイトと呼ぶ方が多いなんて大問題だ、と思うけど、別にそういうのはどうだっていい。
 毎日は言いすぎかもしれないけど、よく考えることがある。こんな早いうちからこれでいいのかな、このままでいいのかな、みたいなこと。
 わたしは全部夜とひとり暮らしが悪いんだとこじつけて、決めつけているけど。
 世界には別に働かなくたって楽しそうなひとがいて、むしろ楽しそうに働いてるひとがいて、そういうひとを見るといつもくだんないことを考える。

 社会人になるってことは自分の欲望を抑制することなんだよなあ、と日々思う。
 どっか行っちゃいたい自分はきっとどこかにいる。お金なんてどうにかなる。仕事なんてやめちゃってもどうにかなる。
 だけどやめてどーすんのって、言うのよ。社会に溶け込みたいんじゃないのって。わたしは社会にとって普通の存在でありたい。マイノリティでありたい。だから、明日も働くし、笑うし、しゃべる。呼吸するみたいに普通でいる。

 一か月前、上司が教えてくれたことがある。
 キャラを作っちゃえばいい、そう言われた。働いている自分は自分じゃないと思えることは君にとっていいことだと思うよ、と。
 それは、この世で生きる限り、わたしについて回る言葉なんだろうなと思う。どれだけ自分じゃないキャラを作っても、わたしはそれを肯定する。いつでも「だいたい、これが素ですよ」なんて言っちゃう。
 しょうがない、素なんだから。わたしはどこでもおんなじ感じだ。家を出た以上は。
 ひとりで部屋にいるときは、しゃべらないし、ぼんやりと生きている。バカみたいに気をつかって生きる自分はいない。ひとり暮らしをして、そういうことに気づいたんだけど、ひとりで部屋にいてもバカになるときはある。
 ジャニーズを見てると叫んでるし、ゴキブリ見て怖すぎて泣いたし、案外どっちもどっちなんだなと感じる。
 わたしが決めたわたしとわたしじゃないもの、どっちも結局わたしだ。おんなじスーツを着ても、人によく思われたくて言葉を発するわたしも、わたしで、「わたし」を作ったって自分に帰ってくる。
 あー、もうできたら、ゴキブリは部屋で一生見たくない。
 明日も仕事だ。最近は毎日セブンイレブンで野菜ジュースとハムカツたまごを買っている。おいしいものとイケメンは、わたしをあまり裏切らない。